因果・・・自分への戒め

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本当に本当に辛くて、私は壊れてしまいそうだった。
人はこうやって壊れていくんだな・・・。

誰でも人の辛さは分からない。
だから私もわかってあげられない。
自分だけが辛い被害者なわけじゃない。

私も猫様の辛さに気がつかなかったし、誰かが私の傷に気付かないのも仕方のないこと。他にも色々、説明しても理解してもらえないことも仕方のないこと。

たとえば結婚。
「誤解して結婚し、理解して離婚する」と昔に聞いたことがあるが、
「誤解して結婚し、理解したと誤解して離婚する」のだと思う。
人は自分のことでさえ理解しきれていないのに、他人まで理解するのは難しい。
完全な理解は求めずに、お互いがお互いを思いやっていければいいと知っていれば、
上手くいくはずだと、今は思う。

「因果」・・・原因と結果。全てのことには原因がある。
そして人は人生という長い時間の中で因果をくり返す輪廻であり、
私がいる今日はその輪廻の途中である。

私は因果を経験し、自分がいかに私利私欲ばかりの強欲な人間で、
誰かの為と思いながら、本当は常に自分のことを優先させる最低の人間であることを知った。
因果さえなければ振り返ることもなく、何も気がつかなかったのだと思う。

因果応報とは「悪いことをしたので悪い結果になる」で終わりではなく、
「悪いことをし、悪い結果になっても、そのことから学び、悔い改め、良い結果に結びいた」
となって意味を成す。

私が悔い改め反省するのならば、何より行動に変化があるはずである。
変化がないのなら反省したとは口先ばかりだ。自分自身を戒めろ!

わかって欲しいとか、思って欲しいとか・・・相手に求めるのは愛じゃない。
求めるのも、与えるのも結局は自分の私利私欲である。
私に何も求めていないのなら、何もしないことが相手の為である。
相手が求めていても、相手がそれにより辛くなるなら、応じないのも愛かもしれない。
あれも愛、これも愛、たぶん愛、きっと愛。

この広い世界で、たった1人と1人。たった一人と一匹、出会えたことに感謝していよう。
そして、この世が終わっても、また来世で会いたい。

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