運命・・・そして幸せと愛

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最近発覚した身体の不都合。
痛みが時折あるが、日常生活は出来る程度。
西洋医学的には病気ではないらしいので治療はしない。

今から14年も前の開腹手術の後遺症。
手術した頃、一度だけ肛門から激痛がはしったことがあったきり。
今までは症状がなかったのだけど、急に来た。
イタタタ・・。

必ず癒着はすると聞いていたのに、すっかり忘れてて、他の病気(性病、癌、内膜症など諸々)を疑って検査、検査、検査。しかし、とくに悪いものは見つからない。
で、結局は後遺症の癒着だろうって。以前からの癒着が、今になって痛みの症状が出てきただけらしい。
調べてみると、術後の経過の悪い人も沢山いるみたいで、十何年も痛みもなく過ごしてこれたのは幸せなことだったみたい。

幸せなことはたいてい後から気付くよね。
不幸じゃなければ、幸せなんだなって気がつくのに長いことかかっちゃったな。
その為に大切なものを沢山失った。
年をとることは、身体の衰えだけでなく、取り返しのつかない哀しみ、自分の傲慢さを知り、
情けないことが沢山増える。その重みに耐えていくのは大変なこと。

思い起こせば先月、一度だけ肛門から激痛がはしったことがったのを今更思い出した。
その時は「癒着のせいかな・・・」なんて呑気に一瞬思っただけだった。
癒着、癒着、癒着ってそんな呑気なことじゃなかったよ。
ときおり、か・な・り・痛いから。

どこかの病院では治療出来るのでは?・・・と病院ジプシー。

しかし、西洋医学ではどこいっても駄目。
先生曰く、癒着は手術ではがせるんだけど、それもまた手術なわけで、また癒着のくり返しだそうで、
日常生活が出来るなら癒着の治療で手術するなんてナンセンスだそうです。

かと言ってほっておくのも嫌なので、探しに探してその治療に長けた鍼院を見つけた。
高麗手指鍼治療と言って韓国の治療で、まだ日本では珍しいらしい。
皆が治せないという癒着をその鍼院は必ず治すと書いてある。
が、治療の最初は毎日とか、一日おきに通わないと駄目、しかも遠い。

いま、二週間も毎日休んでいるのに・・・。
もうちょっと前にわかれば丁度、通院出来たのにな・・・。

新しい会社はたたでさえ我侭を言って一週間入社を延してもらったのに、
更にとは言えない。
入社そうそう毎日半休とか出来ないだろうし・・・。

そんなわけで、またお先真っ暗になってしまいました。
嫁入り前なのにね。

この一年、色んなことがあった。
いや、三年前から始まっていたのだろう。

時間も、身体も、精神もいっぱいいっぱいだった。
全てに一生懸命やったはずなのに、守るべき一番大切なものを守れず、
自分の至らなさと、あまりの馬鹿さ加減に反省しきり。
自分があまりに最低の人間であることにショックを受け、不眠と鬱に。
他にも色々思い出せば最低な人間でしたと思うところしばしば・・・。

それでも生きていかないとならないわけです。
周りの人間に助けられ、なんとか鬱病は免れました。
本当に本当に助けられた。
こんな私にありがたいことです。
身に染みます。

私のしたことは償いようがないんだけど、許して欲しい。
そうなってくると、もう私自身におこるどんな悪い事でも、
それも運命だと受け入れるしかないんだなって思ってきたところでした。
誰のせいでも、何かのせいでもなくただ運命なのだと・・・。

そう思っていた矢先のことです。
受け入れたとしても、辛いものは辛いですね・・・。
ふ~。

私は八方美人なのか、赤の他人には結構、親切でお節介。
赤の他人にもそれを求めていた。

でもさ、出来ることは限られているから、冷たくしちゃう事があってもいいのかなぁって気がしてきました。それよりももっと身近で当たり前な者を、当たり前じゃないんだってことに気がついて、もっともっと大切にすることの方が大事なんだなって。

あれしてあげたい、これしてあげたいっていう押し売りの愛じゃなく。
相手の欲しいものを与えなくちゃね。
何も要らないなら何もしないのも愛(辛いけど・・・)。
それには相手をよ~く見ないと気が付かない。

お互いが分かり合えたらどんなに楽か・・・。
わからないから許せないことも・・・。
自分のキャパでは計り知れない愛もあるはず。

あれも愛、これも愛、たぶん愛、きっと愛。

どんな形の愛も受け入れる。
そしてどんな形の愛も許すこと。

ただそこにあるってのが愛。

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