今日は川島通り商店街を抜け切ったところにあります、
「向台の地蔵尊」をご紹介致します。
現在はマンションになってしまいましたが、
数年前まであった「西新宿ゴルフ」の先である。
この「西新宿ゴルフ」、けして近代的とは言えなかったが、
新宿の目と鼻の先でありながら、穏やかで、気持ちのいい打ちっぱなしでした。
夕方には1階のカフェから楽しげな初老のオヤジ達があふれ出ていたものでした。
ちなみに地蔵の前の時計屋さんには白黒のブチ猫ちゃんがいて、
そのあたりをうろつく野良猫も同じようなブチ猫で、
「兄貴、ノラってのは大変だろう?」
「いやぁ、なに、弟よ、やっぱりオイラには気ままな野良が合ってるのさ」
なんて兄弟猫で会話がされてるのでは?なんて思って眺めていたが、
このブチ猫ちゃん達も、もう長らく見かけない。
こうやって、好きな街の景色が少しずつ変っていっていくのは
やっぱり淋しいものです。
お地蔵様も二百年の間には淋しい事、悲しいこと色々あったろうな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「向台の地蔵尊」
この地蔵尊は、寛政八年(千七九六)八月、旧本郷村の念仏講の仲間が、
子供と道ゆく人の安全を願い造立しました。
台座には「三界万霊本郷村念仏講中 右ぞうしき道 左はたがや道」と
その願いが刻み込まれています。
地蔵尊は、安産や子育てなど、子供の守り本尊として信仰されるほか、
いろいろのご利益が信じられ、中世からしだいに民間にひろがり江戸時代
になると多く造立されるようになりました。
この地蔵尊もそういった願いをこめて念仏講で結ばれた仲間が造立し、
代だい大切に守ってきたものです。
大正のはじめ頃まで大きな数珠をまわし、念仏を唱える念仏講の行事が行
われていました。
戦後、この地蔵尊の維持保存のため地蔵講ができ、年一回供養の行事が復活され、
続けられています。
昭和五十七年二月 中野区教育委員会
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここは中野新橋付近の地理感ある人向けに書くつもりですので、
詳しい場所の説明は省かせて頂きました。